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違和感を感じた理由(臓器提供の報道)

何が書かれていてもどーんと来いっ!と思われる方のみどうぞ(^-^)。
苦情や非難、誹謗中傷は一切受け付けませんので宜しくお願いします。

やっと分かったような気がする。
いろいろニュースを見たり聞いたり読んだりしているうちに何で私が異様な違和感を感じていたのか…。

6歳未満と言う事はどんなに見積もっても5歳ということになる。
何で5歳以下と言わないのか、6歳未満なんだ?という疑問はさておき。

先日6歳未満の臓器提供の日記に違和感を感じると言う事を書いた。
報道の仕方や、情報操作されているからかもしれないけれど、この両親に違和感を感じていたのだ。

それは子どもを亡くして悲しむ気持ちよりも臓器を提供した誇らしさのみを強く感じたからだ。
だから冷めてるとも思ったししっくりこないとも感じたのだ。
そしてこの両親を労わる気持ちも子どもを労わる気持ちも報道からは伝わってこない。

死の尊厳ということを訴えるのであればもっと人の気持ちも伝えて欲しいと思う。
「生」にしがみつく事は決して綺麗事では無い。
でも「死」と言う物は尊いものだと思う。
この子は5歳になるかならずで自分の死と引き換えに何人もの人の命を救ったのだ。

ニュース性としては臓器提供の方が断然大きい問題だと思う。
そして6歳未満という年齢。
何もかもが目新しいことが前面に出てくるばかりで人の気持ちを置き去りにした報道ばかりを見聞きするからだ。

脳死に至った原因は虐待ではないというが本当にそうなんだろうか?という疑惑を抱かせるような情報の中途半端さ。

それは脳死に至る原因をこの両親が伏せているからだ。
原因を伏せている訳を少しでも明かせばここまで疑惑を持たなかった。
原因は知りたいが、何故それを伏せているのかその理由が知りたい。

後で「事故」が原因と分かった。

でも「事故にあって脳死」だったのか「事故で脳死」だったのかはっきり私は掴めなかった。
前者であれば車等の事故かなあとも思うし、後者だと何かの要因で事故に繋がったとも読み取れてしまう。

脳死の原因を伏せ、臓器提供の誇らしさを強調し、その子ども自身を亡くした悲しみが伝わってこない人の心を置き去り状態の印象。
命を失った子ども自身が置き去りなのだ。

いくら文字で葛藤があっただの大きな決断したと書かれていでも読んでいる私の心には届いてこないのだ。

だいたいどこからどこまでが真実の報道なのだ?
いったい何を隠しているだ!と思わざるを得ないのだ。

臓器提供を勧める仕事があるという。

臓器提供には裏と表がある。

提供しましょうと決断する裏には人の死があり、提供を待っている人達は人の死を待っているのだ。
ここをどう解釈するかで賛否両論があるのだと思う。

賛成も反対もどちらも正解だと私は思っている。
大いに議論して欲しいとも思う。
ただ感情的になり誹謗中傷はデリケートな問題なのでやめて欲しい。

そういう意味では昔大騒ぎしていた代理出産と同じかもしれない。
医療の進歩で今まで諦めていた物に希望が持てるようになってしまった。

これは私個人が感じた事であってそのご家族を批判する気持ちは全くない。

私個人が一人の親として疑問に思った事をそのまま書いただけだと思って欲しい。
提供した小さな命は安らかに眠って欲しい。
提供されて助かった命は大切にこれからも生きて欲しい。

提供された人達に「あの子の分まで生きて」などと言って良いものか。
自分自身がそう思うのは良いと思うが周りがそういう負担をかけて良いものなのか。
その辺りのフォローは一生必要なのではないだろうか。(2012.6.20)

男児脳死移植:児相、虐待有無の回答渋る 個人情報理由に』毎日新聞 2012年07月20日

この記事によると虐待の有無を個人情報という都合のよい言葉を理由に明かされていない。
私から言わせれば無かったのなら「間違い無く虐待はありません」とした毅然とした態度を取ればいいだけじゃないの?と思う訳で。
何か含みがあるから「個人情報」なんて何でもかんでもこれを使えば回避できると思って使われる言葉でのらりくらりとかわすのだ。
こんな態度をとっているのだから虐待があったんじゃない?って思われても仕方ないと思う。
多かれ少なかれあったのだと私は思っている。
それを否定出来るだけの情報を児童相談所は開示すべきだ。